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2009年4月15日 (水)

原子力発電について その2 歴史

原発の歴史

1951年…米国の高速増殖炉で初めて原子力発電が行われた。この時の量は200ワットの電球を4個灯しただけであった。

1953年…アイゼンハワー大統領が、国連総会で「原子力平和利用に関する提言"Atoms for Peace"」を行った。核兵器だけに使用されてきた核の力を、原子力発電という平和利用に向けるという大きな政策転換であった。

1954年…受けて、米国では原子力エネルギー法が修正され、アメリカ原子力委員会(AEC)が原子力の推進と規制の両方を担当することとなった。

同年 …ソ連(当時)のオブニンスク原子力発電所が、実用としては世界初の原子力発電を開始し、5MWの発電を行った。

1955年国連のジュネーブ会議(科学者と技術者の集会)が開催され、原子技術の発展について討論した。

1956年…英国に、世界最初の商用原子力発電所コルダーホール発電所が完成した。出力は50MW。

1957年…米国では、シッピングポート発電所が米国発の商用原子力発電所として完成した。

同年 …EEC諸国によりユートラム発足。国際原子力機関発足。

……ところで、原子力発電初期のキャッチフレーズは、"Too cheap To meter"であった。この意味は『原子力発電で作った電気はあまりに安すぎるので、計量する必要がないほどだ』。原子力発電はそれほど安く大量に電気を供給できるものと期待されていたが、1973年に発生した第一次石油危機以降の建築費の高騰が原発推進に大きく影響した。(原発は他の発電に比べ、設備費の割合が非常に大きい) このため……

1974年…建設費高騰で、原発のコストが石炭火力発電のコストより高くなったため、米国では原子力発電の開発がストップした。建設予定の74基(うち28基は着工済みだった)がすべて中止された。

同年 …推進と規制の両方を担当していたアメリカ原子力委員会は廃止、推進をエネルギー研究開発管理部が、規制を原子力規制委員会が担当することになった。

1977年…米国で、民主党のカーター政権が、「核拡散防止」を目的としてプルトニウムの利用を凍結する政策を発表した。これにより、米国では、高速増殖炉の開発と核燃料サイクルが中止された。これ以降、米国では核燃料は再処理されず、基本的にワンスルー利用となった。この政策は、日本の原子力政策に大きな影響を与えた。

1979年スリーマイル島原子力発電所事故発生。この事故は、世界の原子力業界に大きな打撃を与えた。

日本における原発の歴史

1954年…当時、改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、川崎秀二により原子力研究開発予算が国会に提出された。これが日本における原発の起点。

1955年原子力基本法が成立し、原子力利用の大網(方針:「民主・自主・公開」)が定められた。

1956年…受けて、原子力委員会が設置された。初代委員長は正力松太郎(読売新聞社社主)氏。

同年 日本原子力研究所(現:独立行政法人日本原子力研究開発機構)が特殊法人として設立され、茨城県東海村に設置された。これ以降、東海村が日本の原子力研究の中心となっていく。

1957年…原子力委員会委員長正力氏は、『原子力平和利用懇談会』を立ち上げ、さらに同年発足した科学技術庁の初代長官となり、日本の原子力導入に大きな影響力を発揮した。

同年 電気事業連合会加盟の9電力会社および電源開発の出資により日本原子力発電株式会社が設立された。

1963年…東海村に建設された実験炉で最初の発電が行われた。

……ところで、日本初の商用原発は東海村にガス冷却炉が作られた。運営主体は日本原子力発電。ガス冷却炉は、経済性の問題からこの1基にとどまり、これ以降はすべて軽水炉となった。

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